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PROFILE
Name: YOSHI
Age: 40代
Company: 米国、航空会社
Position: B767/B757 ファーストオフィサー
Base: ミネソタ州ミネアポリス
Home: ハワイ州ホノルル
Route: 北米、ハワイ、成田、関空、アジア、マリアナ諸島
Education: 日本では小学校卒
Personality: 外ヅラ良くても、性格悪いとマイワイフが...
Likes: IN はウェブで、OUT は海でサーフィン
Dislikes: 遠距離通勤




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和30年代後半、東京で生まれ小学校までは普通の日本の学校でしたが、父の仕事の関係でアメリカに住んでいたこともありました。中学校からは横浜のアメリカンスクールであったたということもあり、アメリカの社会構成や英語には小さな頃からとけ込んでましたが、反対に日本の学校教育や受験からはかなり遠のいていました。高校生の時に幼少の頃からの希望であるパイロットになるために一人でアメリカに出て来て、アリゾナ州にある全寮制の学校に転入しました。

その後、進学した大学はアリゾナ州プレスコットにある Embry-Riddle Aeronautical University でした。なぜかエンブリーリドルは日本では知られていないのですが、この大学はアメリカの航空業界では定評のある航空大学で、普通の4年制の大学のように幅広く科目を勉強していく中で、航空関係の知識と技術を身に付けていくというものです。ですから航空専門分野以外にも、英語、数学、物理、経済等で単位を取得し、学士号そして人によっては修士号を取ります。このように学位を取れるといったところが2年間で航空関係のみを学ぶ日本の航空大学校との違いです。

私の場合、学士号を Aeronautical Science という学部で取りました。飛行操縦訓練が盛り込まれていて卒業時には事業用操縦士、多発限定、計器操縦証明、飛行教官等の資格を持っています。反対にいくら他で成績が良くても、在学中にこのような資格をこの大学のハイレベルな教育方針の中で取得できなければ卒業できません。こちらの大学は、日本とは逆に入るのは比較的簡単ですが出るのは大変です。学部はその他、航空関係専門のエンジニア、ビジネス、コンピューター等があります。

日本でパイロットになるには運輸省の航空大学校を出て航空各社に入るか、自社養成で直接入社するかにほとんど限られてしまい、アメリカで免許を取って帰っても採用されるチャンスはほとんどゼロです。同機種の大型機で何千時間もの経験のある外国人キャプテンなどを短期契約で取ることは例外としてあります。

アメリカの場合はこちらは "Land of opportunity" ですのでチャンスは必ずあります。その変わり実力と実績主義で、競争相手も何万人もの既に経験を積んだパイロットなので大手エアラインに入るのは並たいていではありません。私の場合、大学卒業後エンブリーリドルでフライト教官をしたりコミューター機の機長をしたりしてキャリアを進めながら9年ほどで定期運送用操縦士、総飛行時間 4,500時間位の経験が身に付きました。その9年間で履歴書は1千通ちかく様々な会社へ出したと思いますし、日本に一時帰って日本の航空会社の外国人乗員訓練に携わる仕事をして自分自身が飛べない期間もありました。長い下積みの末やっと米国大手に相手にされるようになり、2社から入社試験へ招かれました。私の知人でも自分より飛行時間も年数も多いのに 3、4社受けて合格しなかった人達がいる中、平均よりも数年若く入社できた自分は良い方だと思っています。


メリカのような実力と実績の社会でやるならまず飛行時間をどんどん増やすしかありません。免許も、多発限定、計器証明、事業用操縦士、定期運送用操縦士と取っていって、飛行機も大きいのを飛ばせる会社へと移っていきます。大手エアラインが公示している最低雇用資格はたいしたことないのですが、その条件だけで雇われた人はいないでしょう。私が勤める会社の場合、事業用計器か定期運送用操縦士、最低飛行時間 1,500、最低機長時間 500、多発機又はジェット機 500時間、第一種航空身体検査証、フライトエンジニア技能証明又は筆記試験合格、大学卒。あと米国市民以外の場合、永住権が例外なく必要です。そして当り前の事ですが、アメリカで しかもコンペティティブな業界で仕事をするのですからプロフェッショナル社会のレベルで十分通用する英語力が不可欠です。アメリカの生活レベルの英語力さえも習得できない学校教育で育った まるっきりの日本人にとってはかなり厳しい道と言えるでしょう。

応募を一年中してる会社としていないのとまちまちです。私の会社では、一年に一ヵ月の割合で 必要に応じ受付けます。95年度に私は応募しましたが、一ヵ月間で1万通ちかくも願書が届いたそうです。もちろん経歴のあるつわ者揃いで、どうやって自分でも選ばれたのか分からなくなるくらい競争率ははげしいものがあります。

自分の場合、永住権で一番苦労しました。学生のころは学生ビザで、卒業後このビザで1年間は Practical Training で働けました。これが切れる前に一時的専門職ビザへと続けました。その後、コミューター航空会社で永住権の手続きを始めてから2年間の奮闘の末グリーンカードを取得しました。この移民ビザの手続きはとても複雑で弁護士を雇わなければ成功はまずありえません。自分の経歴が会社の条件を満たして、しかもその会社が永住権申請に必要な条件を揃えていなければなりません。また揃ったからといって取れるとはまったく限らない非常に難しいプロセスです。

給与は需要と供給ですから、アメリカでは下積みの段階で経験を積む為にタダで働いたり、会社の訓練費を自分持ちにする人が多くなっています。私はそれでも機長として働いていたので良い方でしたが、それでも3人家族でやっていけないのでアルバ イトをしたりしていたこともあります。通常、コミューター会社のかけだしの副操縦士ですと年収 $12,000 前後です。とにかく安月給でも川を上る鮭のように次のステップに乗るようにしてメジャーエアラインを目指します。メジャーに入れば一般の人が普通に想像したパイロットの給料に近づきます。

アメリカだからといって努力なしには進みたい道へとは導かれません。私が知っている限り、アメリカのメジャーエアラインで活躍している日本国籍のパイロットは数人です。日本の航空雑誌に載っている日本人向けフライトスクールの広告の文句に惑わされ勘違いをしている方々がいらっしゃり、よく「免許を取るのにいくら位かかりましたか?」などと聞かれます。その答えは私の持っている物すべてと今までの人生に費やした時間のすべてに値すると思っています。そして私にそれを可能に出来るような環境を与えてくれた私の両親や家族に感謝しない日はありません。





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