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Monologue




恥ずかしっ 04/21/1998

今では仕事に出て泊まらない事が無いほど利用するホテルであるが、若き日に初めてアメリカのホテルに訓練の為に長期滞在した時の話である。ホテルの部屋に備え付けてある電話に付いている丸くて赤い電球のような物を見たことがあるだろうか。知らない人は私のように「何なんだこれ」とかすかにかすめるだけで、あまり深く考えないのではないだろうか。

ある日、訓練を終えて部屋に帰ってみるとその電話機の赤い電球が3秒おきくらいに点滅し、その度に「リンッ」と短くリングしているのである。なんだこりゃと思いながら電話線のプラグを抜き、剣幕でフンフンしながら電話機をフロントまで持っていった。フロントのカウンターに電話を置いて一言、「壊れている!」。フロント係は何も言わず私の自宅から送られてきた愛妻小包を差し出した。はっと気が付いたが時すでに遅し。片手に電話機、もう片方に小包を抱えて部屋に帰って行く姿は他人が見ても赤面してしまうのではなかろうか。

後に、レイオーバーの宿泊先でフライトスケジュール変更などの会社からの伝言がある度に点滅しているメッセージランプを見ると思い出すが、ほんのちょっとだけその頃より偉くなっている自分に苦笑いしてしまいもする。



掃除機 02/05/1998

アメリカでよく使われている縦形の掃除機を見たことがあるだろうか。吸引モーターと回転ブラシが一体化したケースに収まり、それをゴミためバッグが付いている縦の棒の部分を前後に押し引きしながら掃除をするやつである。私はあれを大学生の一人暮らし時代から愛用しているのであるが、結婚してアメリカ生活を始めたばかりの妻がそれを引き継いだ。よく仕事から帰ると「掃除機が重い、掃除機が重い」と言うのであるが確かに重いので気にもとめていなかった。反対に「アメリカでは掃除機ものこぎりも動作が日本とは逆で押す時に力を入れるんだよ」と適当なことを言っていた。

一年くらいが経過してあんなに「掃除機が重い、腰が痛くなる」と言っていた妻が何にも言わなくなっているのに気が付いた。しばらくは黙っていたがある日、口を開いた。この縦形掃除機は普段は収納しやすいように棒の部分が垂直にロックされL字の状態のまま自分で立つようになっている。使用する時に足でロックを外し、棒と本体の接続部分が前後に屈折可能になり片手で滑らかに動かせる状態にするのであるが、このことを知らなかったのである。垂直に立った掃除機を両手で棒の上と下を持ち、一生懸命家中“引いて”いたそうである。想像しただけでも不自然な体勢で掃除をしている光景は笑える。それがある日、間違ってロックの部分を蹴ってしまい棒が倒れてきて壊したと思い青ざめたのである。しかしその状態で使ってみて始めて状況に気が付き、バカにされるのでそのまま数ヶ月間の沈黙を守り続けたのでる。

その後、棒の取っ手が折れても添え木をしたりモーターを修理したりしてつい最近まで12年間も世話になった掃除機だったが、最後には煙を噴いて死んでしまった。



右に見えますのは〜 02/05/1998

やはりグランドキャニオンを飛んでいた頃の話である。夏になると50社ちかくが乗り入れるグランドキャニオンであるが、そのほとんどの会社が遊覧フライトとしてポイント毎にカセットテープに録音された案内をお客様の母国語で聞かせる。ちょうど路線バスのようにパイロットは名所でボタンを押せばいいのである。しかし中には間抜けな会社もあり、パイロットに観光バスのガイドさんのように生の案内をさせるところもあった。あんなに忙しい空域で一人で安全な飛行機の操作、見張り義務、無線交信などのパイロットとしての業務だけで手いっぱいなのに、よく出来るなーっといつでも思っていたが彼等の観光案内もよく無線で聞けた。忙しすぎて、無線と機内観光アナウンスのスイッチの切り替えを忘れるのである。長々と演説してもお客さんには一言も聞こえてなくて、航空機仲間同士交信用のチャンネルで全国放送(ちょっとオーバー)してしまっているのである。何十機もそれを聞いているのだが、終わった後に間違いを指摘する者は一人もいない。その代わりにグランドキャニオンを飛んでいる他機のパイロットみんなで拍手喝采して、「へ〜、グランドキャニオンってすごい」だとか「そんなに深いのか」だとか「来てよかった」だとか冷やかし合戦を盛り上げてしまうがアメリカらしい。

大型旅客機でもラスベガスのアプローチ中にフーバーダムに差しかかるのであるが、こちらも忙しい中案内をしたがるエアラインパイロットがよくスイッチを機内アナウンスに替え忘れみんなを楽しませてくれた。こっちはさすがに冷やかす人はいなく、かえってみじめそうだった。



ベッシー 02/04/1998

うちのカミさんの中学生からのあだ名はベシです。なぜベシかと言うと、お兄様がベシでした。中学に進学するとすぐに「ベシの妹」と呼ばれるようになり、自然にベシになりました。弟も中学に進学した当時は「ベシの弟」でしたが、それ以来今でもベシです。礼儀知らずの友達から「ベシいますか?」と電話が入ると「大、中、小、どのベシ」と聞き直さなきればならなかったそうです。小さい頃の写真を見てもそうですが、少し日本人ばなれした顔つきのベシ(中)はよくハーフに間違われ、友達のお母さん達からは「ベッシーちゃん」と呼ばれるようになりました。ちなみに私は幼少の頃から毛深く、小学校低学年の頃は「ゴリ」と呼ばれていました。同様に「ゴリの妹」と呼ばれていた私の妹には、今でも申し訳ないと思っています。

うちのニャン子の「いっちゃん」は、顔が市松模様だからそうなりました。ある朝、戸締まりをしてあるアパートのリビングルームに入り込みソファーに座っていたのがいっちゃんとの出会いで、まだ小さかったいっちゃんの顔を見て誰かがペンキで悪いイタズラをしたのだと思ってしまいました。それ以来いっちゃんは家族の一員で日本へは2回、車での旅行も合計何千マイルといつでも同行しています。もちろんハワイへも来ていますが、ハワイ州は検疫にうるさく30日間検疫所暮らしでした。



んっ?! 01/27/1998

最近よくグランドキャニオンでばりばり飛んでいた頃を思い出す。1日にラスベガス間を3往復も4往復も連日飛んでいると自分の便名も機体番号も頭の中でごちゃごちゃにになってしまうことがある。その日もいつものグランドキャニオン空港のように同じペイントの17人乗りビーチ99が何機もきれいに駐機場で横に並んでいた。出発時刻になると各機のパイロットがお客さんたちを飛行機まで案内し、全機一斉に飛び立って行くのである。普通、機長が前を歩き副操縦士が一番後方から十数人のお客さんの安全を確認しながら飛行機まで行進して行く。私も飛行機まで先頭を歩き副操縦士にお客さんの搭乗をまかせ機体後方のドアから飛行機に乗り込み操縦席につこうとした。しかしその瞬間に小さな「はてなっ?」マークが頭の中に浮かんだ。見慣れた操縦席に自分の物でないヘッドセットなどが置いてある。後ろを見てもいつものようにお客さんが乗ってこない。小さな「?」マークが大きなものに変わって窓から外を見たら私が乗務する飛行機が隣にとまっていた。間違いに気が付いた時にはもう遅く、出入り口に戻った私を向かえたのは私のお客さんと副操縦士そしてあとから来たその飛行機の本当の乗員乗客全員が笑いをこらえている姿であった。

BE99 at GCN


ぬり絵 01/24/1998

今朝、娘のぬり絵を手伝っていたらB4移行訓練のグランドスクールでの出来事を思い出した。新しい飛行機にアサインされるとぶ厚いマニュアルが訓練生各自に支給される。その航空機のシステム類を説明するマニュアルの図面等は分かりづらいことがある。そこで自分なりに色鉛筆などで色づけをすると格段に見やすくなる場合がある。しかもそれが楽しかったりする。

休み時間に色をぬりながら周りを見渡すと、50代後半のシニアな機長さんたちを含むクラスのほとんど(10人位)がぬり絵に没頭している。自分でもこんな光景は見たことがなかったのだが私と同年齢くらいの女性グランドインストラクターに「こんなにぬり絵の好きなクラスは始めて。幼稚園の時に満足にぬり絵させてもらえなかったんじゃないのかなー」とすかさず言われてしまった。



娘の話 2 01/23/1998

先日、カイルアの友人宅に遊びに行った時の話。そのお宅の勝手口はコンクリートのポーチになっていて出入り口のすぐ外に直径70cm、深さ1mくらいの縦穴が2つ掘ってある。古く錆びたふたがあったのだがあまりにも醜いので友人がそれをはずして1つには小さな家具、もう1つにはビーチ用のござで覆ってあった。まるで誰かが落ちるように誘っているかのように見えたので家の中にいた娘をわざわざ呼んで穴があるのでそこのそばに行くなと妻と友人と私の3人が各自、同時に説明し始めた。が何を思ったのか、3人の間をするりと抜けて靴を履き始めているので:

妻「あんた何やってんの、そっち、、、」
友人「Yeah, what are you...」
私「どこいくの、ちょっと、、、」

と3人が同時に言い終わる前に3歩目で見事にござを踏んで穴に落ちた。本人はびっくりして泣き出しているが、ござのおかげですり傷一つない。まるでマンガのようにきれいに落ちたのでまた笑いが止まらなくなってしまった。



娘の話 01/22/1998

うちのおてんば娘の話。仲良しのお隣さんの姉弟の家へよく行き来する。隣の庭とうちの庭の間には垣根のような物はあるが人や動物の往来を妨げるほどの物ではなかった。その為、近所の犬が毎夜うちの庭に侵入し落とし物をしていく。もういい加減嫌気がさしてきたある日、試行錯誤の末に安い金網のフェンスを庭に妻と娘と3人で自作した。

次の日の夕方、自分の部屋でのんびりしていたら娘の泣き声と妻の怒り声が聞こえてきた。いつものことだからあまり気にもとめなかったが、話を聞いてみると娘がおうちゃくをしてフェンスごしに隣の庭からうちの庭に渡ろうとした際に金網の角で太ももを擦りむいたのだと言う。見ると娘の足にはきれいに何本もの細い傷がついていた。しかし、犬が入ってこないように作ったフェンスを壊されてはたまらない私たちに怪我そっちのけでこっぴどく怒られ同情さえもしてもらえなかった。その時娘が泣きながら一言:

"It's a stupid idea!"

その日は犬のことで真剣だった私たち夫婦も犬が来なくなった次の日から娘の一言がおかしくて思い出しては笑っていた。





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