personal area
Monologue




小さな幸せ 08/23/1999

日本レイオーバーでホテル近辺にある、ゼッタイに他のクルーが来ないお風呂屋さんとかでのんびりした時間を過ごせた時にステイでの幸せを感じてしまう。日本人に生まれて得をした気分に満ち、「ニッポンは、いい国だな〜」とかお風呂の中ではのんびりしてしまったりもする。



離婚貧乏 05/01/1999

離婚して貧乏くじを引くのは、日本では女性だがアメリカでは男性である。元々離婚率の高いアメリカだが、それに加え仕事柄外泊などが多いパイロット同士の会話には、「今度、結婚するんだ」、「そう、何度目?」みたいなのが普通になってしまっている。もう60才で定年退職寸前のキャプテンと娘の話をしていて年を言うと「オウッ、うちの娘も同い年だ、息子はあんたと同じ30代後半だけど」なーんて具合である。

以前、掲示板で「結婚しないで、その代わりにこの世で一番嫌いな女を探してきて彼女に家を買ってあげれば!」みたいなジョークの話をした。その仕組をうちのご近所さんを例にとるとこうだ。まず夫婦仲が悪くなって大きな口喧嘩が絶えない。聞こえてくるのは大体女性の大きな声。しまいにはダンナが「じゃあ、お前は俺にどうしろっていうんだ」とこっちがかわいそうになってしまう。ある日、男が女房をちょっと突っついたりしたらそこで勝負あり。女が裁判所に Temporary Restraining 命令を出させて、ダンナは奥さんの半径何メートル以内へ近づけない。奥さんが家に住み続ける限り、ダンナは自分の家へも帰れない。慰謝料、子供の養育費をがっぽり取られた上に、自分が「この世で一番嫌いな女」が住む家のローンまで支払わなければならないのである。



Verde Valley School 04/25/1999

娘とアルバムを眺めていたら、長髪、ピアスだった若い頃の思い出にふけってしまった。私のハイスクールは、アリゾナ州のセドナという町から車で40分ほどのレッドロックで有名なキャニオンの奥地にある。1学年1クラス、全校生徒が100人程度の4年制全寮学校であった。校舎や寮などは1960年代に生徒によって作られた建物で、学校全体に「ヒッピーコミューン」の雰囲気を漂わす。小さい頃にアメリカに住んでいて、日本のアメリカンスクールからの転校だったので英語もそこそこだったが、東京から一人でアメリカの砂漠に出てきたばかりの16才の目に映った光景はやはりショッキングであった。上半身裸同然、裸足でイチャつきながら歩き回る男女、何十年もの間に何回もエンジンを交換している窓の閉まらないスクールバス、月の明かり無しでは隣りの寮へも行けない夜のキャンパス... 決められた場所であれば煙草も吸えた。

カレッジプレップスクールだったのでアカデミックの面でも上級だったが、スポーツやアートも盛んに参加できる。学校での食事や寮の仕事も各自分担されて、実生活自体が教育でもあった。取り分け、フィールドトリップなども小さなグループに分かれて各地で様々な価値観を学ぶ。私は、真冬のヨセミテ渓谷のリムをクロスカントリースキーを履いて2週間で一周する、越冬サバイバル隊みたいな経験もさせてもらった。写真や陶芸に熱中し、川へは馬に乗って泳ぎに行った懐かしい高校時代でもある。

Horsy


テープ芸 03/05/1999

フライトバッグの中に潜めているマスキンテープ、秘密兵器として隣りのページで紹介したがここでその使いみちを暴露してしまう。コクピット内でもノーゴーアイテム的な存在で重宝しているが、私個人の大ピンチも2回ほど救ってくれたことがある。

自分の恥ずかしい身なりなどを想像することがあるが、そのナンバーワンといえば座りっぱなしで制服のズボンのおしりが破けた姿ではないだろうか。それに気づかず空港など大衆の前を歩いているパイロットの地獄絵図がパラノイド的に脳裏をかすめることがある私は、よくトイレのついでにズボンをチェックする。ある日、このささいな努力が功を奏し、フライト中にズボンの縫製の糸がほずれているのを発見した。小学生の頃、家庭科クラブでならした針と糸の腕を持っていたが、まさかはいているズボンを脱いでコクピットでお裁縫する訳にもいかないと狭いトイレの中でパニックしていた。しかし落着きを取り戻し、一人暮らしのアメリカ学生時代に新調したズボンのすそをマスキンテープで直したことを思い出し、なんなくその場をテープの応急処置で切り抜けた。

次にマスキンテープが私の救世主となったのは、トリップ中の関西であった。アメリカの乗員は収納可能なキャリーバーが付いている小型キャリースーツケースを引きずり回している。そして備え付けのフックに例の重たいフライトバッグをぶら下げているが、やはり重たすぎてスーツケースのキャリーバーが仕事を何日も残して折れた。荷物全部を抱え持たなければならなくなってしまったが、一度に10メートル以上歩けないほどの重さで弱りきってしまった。ホテルに落着きスーツケースをしばらく冷静に眺めた後、いざ解体。またまたマスキンテープで直してしまった。今回ばかりは自分のテープ技が誇らしく思えてしまったが、とにかくマスキンテープ様サマである。



Skydiving, Hawaii 03/02/1999

スカイダイビング。「幽体離脱」したようだといって義理の弟がはしゃいでいる。一日目は飛び立ってから薄い雲が出てきて引き返してきた。二日目は風でノーゴー。三度目の正直でプロモーションビデオみたいなものもカッコよく撮ってもらい大喜び。あんな簡単な手続き(死んでもお葬式は自分で払いますみたいな契約書にサイン)と講習ですぐに飛べてしまうので危なっかそうだと思ってしまうが、自分たちの責任をカバーできるようにレギュレーションをちゃんと守っているところがアメリカらしくて感心。そういえば某東洋の島国のテレビを観ていたらカメラマンと一緒に雲の中シュポシュポ通り抜けていた。スカイダイバーを乗せた飛行機も間違いなく雲の中往復していたのもばればれかな。

Skydive


コブラ・エアライン 12/14/1998

一年を振り返り、今年の一大イベントはなんといってもパイロットグループ総勢6千人が支持したストライキ。自らの職業、パイロットとしてのキャリア、家族の生活、その全てを懸け体を張らずして守れね真剣勝負、食うか食われるかのアメリカを改めて実感した。交渉期限を境に失業、会社の敷地からさえもおわれる無法者に一瞬にして転ずる。時間無制限のデスマッチは、未知の領域の精神状態をも長期にわたりさまよわす。

交渉決裂の当日は本国外のある場所で大混乱の真っ只中、組合コーディネーターとして宿泊ホテルや帰国方法を失ったトリップ中の同士パイロット100人のケアに走り回っていた。

妻が以前よく大揺れのグランドキャニオンで操縦する私の飛行機を水面に浮かんでいる水鳥にたとえていた。安定した体は水面ではスイスイだが、外から見えない足元は猛烈な勢いで漕いでいる。よく人に「へ〜、普段はおチャラけているのにねぇ」などとつぶやかれてしまう事もある私の足元もやはり生き残る為に必死で漕いでいる。



A Dream Job 10/25/1998

普段は休みも多く、自分が一番していたい事をしてお金までもらえてしまう。仕事を終えて帰ってみると、日焼けしていた肌が白くなってしまいそうなトリップの長さも気にならない。本当にうらまれてしまいそうなこの商売であるが一年に2度程 自分の知識、能力、経験、そして運を試されるような事件が起こる。何かがあった時に問われる個人の力とクルー同士の調和も会社や一般社会から信頼されて生きてきている人々だからこそ成し得るのだと思いたい。このようなハプニングが「自分はこの時の為にお給料をもらっているのかな」と感じる一瞬を与える職業でもある。



どっちが本職? 07/20/1998

生活や時間のゆとり、そしてシニアになるにつれ金銭的な面でも余裕が出てくる米国メジャーエアラインパイロットだが、かなりの割合の人が副職を持っている。ただパイロットとして定年まで無事に飛び続けられたとして、その生涯で得られる収入を不服と思いサイドビジネスを始めるのではなく、アメリカならではの機会があるからだとその副業の職種を見ても分かる。パイロットの顔以外にも休みになると会社や店舗の経営者、不動産関係者、中には医師や弁護士などに変身する人が数多くいる。以前、同乗した機長の一人にロサンジェルス近郊のある有名なビーチフロント地域の市長さんがいた。自己の能力と可能性をここまで発揮させてくれるアメリカは、国歌の通りまさに自由の地であり、勇士の故郷であると思う。



おこげさん 07/14/1998

以前、カミさんは小さい頃からハパ(ハーフ)によく間違えられる話を書いたが、実はこれは人ごとではなく自分もほりが深いとよく言われ、同様な経験がしばしばある。その上、顔の毛深さが沖縄やその他海外の南国諸島の人々に親近感を感じてもらえたりもするみたいである。

学生の頃には日本からの訪問者に長くアメリカに住むと目の色素まで薄くなるのかとか聞かれ自分のアイデンティティーがふらついてきたが、最近では自分が周りの初対面の人間を混乱させているのによく気づく。日課のサーフィンのおかげで手のひらと足の裏の白さが目立つくらいの日焼け姿で日本ベースキャビンクルーなどと顔合わせをすると、「ほんとに、ホントに、ほんと〜に日本人?」などと聞き返されてしまう。あまりにもしつこいので、だんだんこっちまで自信がなくなってきてしまう。

潮焼けして手足の毛が茶髪化してきて、しまいには「こげたローコのハパみたいだ」と近所の日系のおばちゃんにまで言われてしまった。

Go Surfing


ジェットラグ 07/03/1998

時差についてである。長いトリップを飛んでいると12日間で成田−ハワイを1往復、日本−米国本土を2往復、日本−東南アジアを2往復することもある。ステイは通常24時間前後で、どんなに長いフライトを終えて午後に着いても、その次の日の午後までには次のフライトに出発する。

体内時計をどこに合わせるのかよく聞かれるが、この様な連続したフライトをしていると自分の体内時計どころか本当の現地時間さえもこんがらがってしまう。これがかえっていいみたいで、一歩仕事に出ると体内時計を無視して到着地時間だけで行動する。例えば午後4時に東京を発ち14時間後ニューヨークに午後4時に着いたらそのままニューヨーク時間で行動し、当たり前の時間に夕食をとり深夜前に床につく。つまりこの日の一日は24時間ではなく38時間だったことになる。

それでも、5時間くらい熟睡できればいいほうなので、後はテレビのリモコンいじりをしてちょっと寝てを飽きるまで繰り返す。日本でこれをやっているとそのうちにラジオ体操の時間になるのだが、どのおねえさんが一番いいスタイルしているかなど早朝から気になってしまうのはやはり体内時計がどこかで作用しているのかもしれない。そんなことを考えながら自分も体操に加わりテレビの前で運動する自分の歳を感じてしまったりもする。





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